#横尾忠則
1936年生まれの横尾忠則は、ポップでサイケデリックな作風で知られる日本の美術家。グラフィックデザイナーとして活躍後に画家へ転身し、生と死をテーマに独自の世界観を表現している。横尾の作品を専門に展示する美術館として、横尾忠則現代美術館(神戸市)と豊島横尾館(香川県豊島)などがある。
概要
横尾忠則(よこお ただのり、1936年6月27日 - )は、日本を代表する現代美術家・グラフィックデザイナー。兵庫県西脇市に生まれ、幼少期から絵の才能を示した。高校卒業後に神戸新聞社でデザイナーとして働き、1960年代からはイラストレーター兼グラフィックデザイナーとして脚光を浴びる。1964年の東京オリンピックではピクトグラム制作に参加し、唐十郎や寺山修司、三島由紀夫ら文化人との出会いも創作に影響を与えた。
1960年代後半から横尾の名は海外にも知られるようになり、1967年にはニューヨーク近代美術館 (MoMA) が展覧会出品中のポスター作品を全点買い上げるという逸話が生まれた。続く1972年、MoMAにおいて日本人として異例の個展が開催され、若くして国際的評価を決定的なものとする 。この頃ニューヨークを頻繁に訪れ、アンディ・ウォーホルやジャスパー・ジョーンズらポップアートの巨匠とも交流している。一方で日本国内でも評価が高まり、アメリカのみならず1969年に第6回パリ青年ビエンナーレ版画部門グランプリ、1972年に第4回ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ展ユネスコ賞、1974年に同展金賞を受賞するなど、欧州でも評価を得た。
グラフィックデザイナーとして輝かしい経歴を持つ横尾だが、1980年にニューヨーク近代美術館(MoMA)で観たピカソ展に衝撃を受けたことを契機に「画家宣言」を行い、以後は絵画制作に専念するようになる。グラフィックと絵画は全く別物だと考えた横尾は、1980年代以降は画家として精力的に作品発表を続け、国内外で個展を開催した。2000年代以降には紫綬褒章(2001年)や旭日小綬章(2011年)など国からの顕彰も受けている。2012年には故郷・兵庫県に兵庫県立横尾忠則現代美術館(神戸市)が開館し、翌2013年には香川県の豊島に豊島横尾館がオープンするなど、自身の名を冠した美術館が相次いで誕生した。さらに2015年に高松宮殿下記念世界文化賞(絵画部門)を受賞、2023年には日本芸術院会員に任命され、文化功労者に選出されている。88歳(2025年5月時点)となった現在も創作意欲は衰えず、新作発表や展覧会開催を続けている。
作風
横尾忠則の作品世界は、生と死を根底的なテーマとしていると言われる。幼いころ、養父母が50代の時にもらわれたことによる老いの意識や戦争体験により「死」を意識したことが、その後の創作に影響を与えた背景にある。デザイナー時代の1960年代から1970年代にかけては、ポップカルチャー全盛期の空気を反映したカラフルでサイケデリックなグラフィック作品を多数手がけた。日本のモチーフと欧米的なポップアート感覚を融合させた派手なビジュアルは「アンチモダン」とも称され、欧米の評論家からも注目を集めた。またコラージュ手法を多用し、自作の要素を繰り返し引用・自己模写する自己言及的な作風も特徴。横尾自身、「バラバラのことをやるのがアイデンティティ」と語っており、ジャンルや様式にとらわれない多様性こそ自身の本質だとしている。
1970年前後には自ら首を吊る姿と「29歳で頂点に達し、ぼくは死んだ」という英文コピーを添えた代表作となるポスター作品《TADANORI YOKOO》を発表し、商業デザインの世界から独自の芸術的立場へ転じる決意を示した。さらに三島由紀夫に勧められて訪れたインドでの体験以降、オカルティズムや神秘主義への関心も作品に表れ始め、曼荼羅や仏教的モチーフ、霊的なイメージをポップに再構築した絵画シリーズを手掛けた。1980年代以降に画家に転向してからは油彩を中心に力強くアイコニックなイメージを描き続けており、その題材は森羅万象に及ぶ。郷里・兵庫県西脇市の風景を題材にしたY字路シリーズ(後述)のように、郷愁と幻想を交錯させた作品もあれば、「血と汗と涙」を思わせる赤を多用し人間の根源に迫るような作品まで、横尾の創作は常に変容と自己否定を続けながら一貫したテーマを探求している。
代表作
《TADANORI YOKOO》(1965年) – 1965年開催のグループ展「ペルソナ展」に出品されたセルフポスター。首を吊った自身の姿に「29歳で頂点に達し、ぼくは死んだ」という衝撃的なコピーを重ね合わせたキッチュな作品で、横尾はこの作品を自らの広告として位置付けた。モダニズムデザインからの決別を宣言した横尾の実質的なデビュー作であり、のちに初期代表作として語られる。
《腰巻お仙》(1966年) – 劇作家・唐十郎率いる状況劇場のために制作されたポスター作品。第2次世界大戦時に戦意高揚のアイコンとされた桃太郎にちなんで、敗北の象徴としての「桃」というモチーフを大胆な構図と色彩で描いた。1970年の「世界のポスター展」において1960年代を代表する作品の一つに選出され、横尾の名を世界に知らしめた。
《ロータスの伝説》(1974年) – 1974年発表のサンタナのライブ・アルバム『Lotus(ロータスの伝説)』のアルバムジャケット。見開き22面にも及ぶ曼荼羅状の超大作ジャケットは当時話題を呼び、「最も多面体なレコードジャケット」としてギネス世界記録にも認定された。横尾はこの幻想的かつ壮麗なジャケットアートにより、ロック音楽の分野でもその名を残している。
《アガルタ》(1975年) – マイルス・デイヴィスが1975年に発表したライブ・アルバム『Agharta(アガルタ)』のレコードジャケット。東洋の神話やアフロフューチャリズムからインスピレーションを得た、先進文明の都市景観を描いたイラストレーションで、ジャズとロックが融合した音楽内容を視覚的に表現した。日本のみならず海外でも評価が高く、横尾は本作を含む一連のアルバムのカバーアートで世界的なグラフィックデザイナーとしての地位を不動のものとした。
「Y字路」シリーズ(2000年~) – 郷里・西脇市に存在するY字型の三叉路を題材に、2000年以降に集中的に描き始めた連作絵画。夕闇に沈む路地や昭和の面影を残す建物など、作品ごとに異なる場所や時間帯のY字路が描かれている。油彩や版画、写真コラージュなど様々な技法で150点以上が制作されており、「同じ主題を多様なバリエーションで描く」という横尾の作家性を象徴するシリーズ。郷愁と不穏さが同居する幻想的風景は横尾芸術の集大成の一つと位置付けられる。
受賞歴
1969年/第6回パリ青年ビエンナーレ グランプリ (Grand Prize, 6th Paris Youth Biennale)
1972年/第4回ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ展 ユネスコ賞 (UNESCO Prize, 4th Warsaw Int’l Poster Biennial)
1974年/第5回ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ展 金賞 (Gold Prize, 5th Warsaw Int’l Poster Biennial)
2001年/紫綬褒章 (Medal with Purple Ribbon)
2015年/高松宮殿下記念世界文化賞〈絵画部門〉 (Praemium Imperiale, Painting)
2023年/文化功労者 (Person of Cultural Merit)
日本での常設展示
横尾忠則現代美術館(兵庫県神戸市) – 2012年開館。横尾から寄贈・寄託された多数の作品を収蔵し、横尾芸術に関連する企画展も開催する公立美術館 。
豊島横尾館(香川県直島町豊島) – 2013年、瀬戸内国際芸術祭の一環として開館。古民家を改装した空間に横尾作品のインスタレーションが恒久設置され、生と死をテーマにした独自の展示を行う。
西脇市岡之山美術館(兵庫県西脇市) – 1984年開館。横尾の作品を恒久的に収集・展示する目的で設立された公立美術館で、現在も現代美術の拠点として横尾コレクション展などを開催している。
日本のおもな個展
2002~2003年/東京都現代美術館・広島市現代美術館ほか巡回「横尾忠則 森羅万象」展 – 画家転身後初となる大型回顧展。約40年に及ぶ創作活動を絵画・グラフィック合わせて400点規模で紹介し、東京都現代美術館(2002年)と広島市現代美術館(2002~2003年)を巡回。横尾芸術の全貌に迫る初の本格的な展覧会として大きな話題を呼んだ。
2021年/東京都現代美術館「GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?」展 – 新作を含む過去最大級の500点以上の作品を横尾自身が総監修した大回顧展。初期から現在までの作品を網羅し、コロナ禍以降の最新作も展示。会期は2021年7月17日~10月17日で、横尾芸術の変遷を一望できる内容となった。
2023~2024年/東京国立博物館(表慶館)「横尾忠則 寒山百得」展 –東京国立博物館で2023年9月12日~12月3日、2024年5月25日から8月25日まで横尾忠則現代美術館で開催された個展。コロナ禍の最中、87歳にして挑んだ新作絵画シリーズ「寒山百得」を中心に、全て新作が披露された。同年に横尾は文化功労者に選出されており、長年の創作活動に対する評価が改めて示された。
2025年/世田谷美術館「横尾忠則 連画の河」展 –2025年4月26日~6月22日に開催。2023年春、横尾が大きなキャンバスに向かって始めた「連歌」ならぬ「連画」を発表。同展は150号を中心とする新作油彩画約60点やスケッチなどで構成されており、88歳の今もなお衰えぬ制作への意欲を見せた。
海外のおもな個展
1972年/アメリカ・ニューヨーク近代美術館(MoMA) – MoMAでの個展「The Works of Tadanori Yokoo(グラフィック作品展)」は日本のグラフィックデザイナーとして異例の抜擢で、世界的評価を得るきっかけにもなった。
1973年/西ドイツ・ハンブルク工芸美術館 – 欧州で初開催された個展となり、ヨーロッパにおける評価も高まった。
1974年/オランダ・アムステルダム市立美術館 – 横尾自作のポスターを用いた宣伝や大胆な展示構成が現地で反響を呼んだ。
1983年/フランス・パリ市立広告美術館 – パリ市立広告美術館(現・パリ装飾芸術美術館内)で開催された。グラフィックデザインの本場パリで自身のポスター芸術を体系的に披露した。
1985年/イタリア・パラッツォ・ビアンコ – イタリア・ジェノバ市の白の宮殿ことパラッツォ・ビアンコで開催。同年にはジェノバ市内のファルコーネ劇場や西ベルリンでも連続して個展を開催し、欧州での活動が本格化した。
1985年/西ドイツ・ベルリン芸術家会館ベタニエン – 西ベルリンのクンストラーハウス・ベタニエン(芸術家会館)での個展。東西の壁崩壊前夜のベルリンで前衛的な日本美術を紹介し、大胆なインスタレーションで注目を集めた。
1987年/アメリカ・カーネギーメロン大学ギャラリー – アメリカ・ピッツバーグのカーネギーメロン大学美術館に招待され個展を開催。絵画へ転向後の作品をアメリカで紹介する初の機会となり、アメリカ美術界から再評価を受けた。
2006年/フランス・カルティエ現代美術財団 – 絵画・インスタレーション・映像を組み合わせた回顧展で、同財団所蔵となった《Waterfall Rhapsody》(3700枚の絵葉書による滝のインスタレーション)など話題作を発表した。